私は末っ子で「我儘で甘えた。」と言う生き方を子供の頃にしていました。
その時は何の意識もしていませんでしたが、
きっと、甘える事で多くの事は解決していたのだと思います。
幼い頃から自分の思いを通すために、甘えながら駄々をこねて成功してきたのですね。
そうしていつしか「甘えると何とかなる。」と言う気持ちが、私の中に刷り込まれたようです。

実際今でも四苦八苦していると、誰かが手助けして下さることが多いのですが、
それは私から「助けて~!!」とういうオーラが無意識に噴き出しているからかもしれませんね。

さすがに60過ぎて、もろに甘えるなんて事はありませんが
困った時などには誰かに助けて欲しくて「丸投げしよう。」と無意識で考えているようです。

その時の私の言葉は「どうして良いか分かれへん。」です。
そうして、もじもじして誰かに助けて貰おうとしています。
このような方法で、その場の困りごとは解決して嬉しくても
「自分には出来ない。」と言う気持ちが残ります。
この繰り返しは、自信のない自分。自己肯定感の低い自分を作り上げて行きます。

こういう時、依存的でない人は自分で何とかする事を考えるのですね。
考えた結果、ヤッパリ出来なくてどうしよう?と言う事を繰り返してから人に聞くので、教わったことも腑に落ちて頭に入り自分のものになるのです。
考えて、考えてチャレンジをすると言う事を繰り返して乗り越えるから自信に繋がっていきます。
同じ聞くのでも依存的に丸投げする人とはまるで違います。

でも、人は支え合い助け合いして生きているのですから、依存が絶対にいけないわけではありません。
依存したいと言う事は、頼りたいのですよね。
頼りたい人にぴったり合うのは、頼られたい人。
頼られたい人の心の中には
支配したいという気持ちが眠っている事が多いのです。

人は群れで生きる動物です。
自分以外の他者がいる時、誰もが他の人より優位でいたいと言う気持ちを心のどこかに持っている事は自然な事です。
このような気持ちは向上心につながります。
依存したい人、依存されたい人、様々な人がいて成り立つのが社会です。

注意が必要なのは、丸投げ的な依存したい気持ちには危険をはらんでいると言うことです。
依存したい人に、依存されたい人がピッタリくっついた時
依存されたい人の、支配したい気持ちがメラメラと燃え上がると問題が起こって来ます。
支配したい人が絶対に危険でいけない等と言っているのではありません。

このような関係は、上手くいっている時は良いのですが
お互いの力の関係がアンバランスになりやすいので、歯車が狂った時にはDVや、モラルハラスメントのような関係になる可能性がとても強いのです。

今日も最後までお読み頂き有難うございました。

by 牧村鹿子カウンセラー